事業内容・実績の詳細

明治大学復興まちづくりシンポジウム 「子どもたちと災害・復興まちづくりを考える」開催報告

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日時 2015年4月25日(土)13時30分〜14時45分
会場 明治大学駿河台キャンパスアカデミーコモン2階A2-3ホール

登壇者 松田曜子(関西学院大学災害復興制度研究所准教授)
津田知子(セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン 東日本大震災復興支援事業部副部長)
山本俊哉(明治大学理工学部教授)
主催 明治大学理工学部建築学科都市計画研究室
共催 復興まちづくり・リレーイベント2015「災害に学ぶ/備える/語り継ぐ」実行委員会
後援 明治大学震災復興支援センター
協力 一般社団法人 子ども安全まちづくりパートナーズ、NPO法人 復興まちづくり研究所

趣旨説明(山本俊哉)

今回のシンポジウムは、リレーイベントの最後の催しである。5年前、3・11直後に同じ会場で、主に首都圏の建築やまちづくりの専門家など約200名が集まり、被災地の現状を知り、復興をどう支援するかについて、緊急のシンポジウムが熱気溢れるなかで行われたことを思い出す。
さて、今も学校のグラウンドは、仮設住宅で埋め尽くされている。仮設住宅での子どものストレス、陸前高田では子どもの肥満度の悪化などの問題もでてきている。グラウンドの整備の取り組みについても仮設の期間が長期化している。被災地では、「未来のために」、「創造的復興」と言われているが、後先を考えない復興事業であるなどの批判、一方での「復興をとにかく急げ」という状況のなか、特に復興事業における子どもの参加の機会が少ないという意見がある。
セーブ・ザ・チルドレンの津田さんたちは、子どもたちに参加の機会を与える様々な取り組みを行っている。その取り組みは小さなものかもしれないが、子どもの主体の形成や周囲に及ぼす影響は決して小さくない。今年の3月に行われた国連防災世界会議のパブリックフォーラムでも発表されているように、高校生たちの提案(自然保護大賞を受賞)が関係者に一石を投じている。未来を担う子どもたちの意見を社会に反映していくことは、被災地をどうするか、ということだけではなくて、これからの日本をどうしていくのかということで受け止める必要があると思う。

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この後、1時間15分という限られた時間ではあるが、松田さん、津田さんと一緒に「子どもたちと災害・復興まちづくりを考える」と題して進めていきたい。

原発事故からの広域避難と家族のおかれた状況について(松田曜子)

[山本] 松田さんは、震災当時の4年前は大学ではなくNPOという立場で関わっていた。今日は、関西学院大学の山中先生や他のメンバーと一緒に3月7日に話されたことを中心に、広域の避難と家族の問題、今子どもたちがどういう状態におかれているのか、ということを全国規模で話題を提供していただく。
[松田] 兵庫県西宮市にある関西学院大学では、災害復興制度研究所というのができて10年になる。阪神・淡路大震災から今年で20年だが、そのとき当大学でも23名の教授、理事、学生を亡くした。そのときから、理系が考える防災、復興だけではなく、法制度、情報、マスコミなど、関学が強いといわれている人文科学系の知恵が復興には必要なのではないか、という趣旨で設立された研究所である。
神戸も広域の避難者がいて、そういった人たちが孤立をするという問題をずっと考えてきた。今回の東日本大震災でも、広域避難、県外避難と言われている問題に取り組んできた。今回は、原発からの、ということで、他の災害からの避難とは少し違う。「絶対帰るぞ」という意思が揺らいでいるような避難の問題がある。子どもの問題では、子ども被災者支援法という新たな法律が作られたが、それがなかなか機能していないという問題もある中で、この原発避難をどう考えるか、避難者の方々が実際どういう問題に接しているかということを3月7日に丸の内キャンパスで話し、多くの方と濃密な議論をすることができた。
今日ご紹介するのは、復興全体から言うと、この広域避難の問題というのは取り上げられる機会が少ないので、概要(基本的な事情)をお知らせすることとし、四国での事例をお話したい。

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私は、SAFLANという福島から避難している子どもたちを支援する弁護士のグループと、JCNという広域避難に力を入れている民間支援団体とともに原発避難白書をつくろうとしている。原発避難の問題は、構造化がほとんどされていないためである。この6月には、子ども被災者支援法が施行されて3年の日に公開するため、いま編集の最終段階にある。避難の全体像がどんなものであるか、どこから避難したのかによって家族のおかれている状況は全然違う。このため、白書は、第一に、もとの居住地別の課題を明らかにする。次に、47都道府県で行政の支援には様々な違いがある。そこで、オリジンとデスティネーションという関係から避難先での状況をまとめる。最後に、この問題にいろいろな側面から関わっている専門家の方に諸問題を書いていただく、という構成を考えている。白書は、別途皆さんに広報したいと思うので、ぜひご覧頂きたい。
全体像でなにが把握されていないのかというと、まず、避難者の数である。埼玉県の公営住宅に避難している人だけでなく、民間住宅に住む人も避難者に加えたため、避難者数の数え方が途中で変わってしまった。そのため唯一公的に発表されている復興庁の避難者数のデータにも不自然な数の増加がみられる。数えることさえままならないというのがいまの避難者問題の実態である。自主避難に関しては、ほとんど把握すらされていない。
避難者と呼ばれる方にも自主避難や強制避難など様々な人が混ざっていて、それぞれ立場が違うという難しさがある。強制避難者の人は帰りたくても帰れない、自主避難者の人は、自分で避難を決断したので、安全になるまで戻りたくないと思っている。さらにこういった思いも近所の人や家族や兄弟間でも違いがある。以上のように、原発事故は、避難者間に種々の分断を生んでいる。多様な属性ということから、支援も非常に難しい。例えば、お茶会に故郷の野菜やお菓子を使う、これを良いと思う人もいればやめてほしいと思う人もいる。支援者は、避難者のそういった思いをどのように汲み取っていけば良いかという選択を慎重に迫られる。その他にも原発避難には、たくさんの問題がある。
移住を促進させる(住民を増加させる)施策として福島からの家族を受け入れに取り組んでいる人たちや、さらに、ここに地方創成という流れを汲んで、それが強化されていくという流れもあり、ますます混迷を極めていると考えている。
こうした状況をふまえ、実際、避難者の方々がどのような状態にあるのかを四国での事例を通して見ていく。えひめ311という支援団体がある。東北や関東から愛媛に避難した人たちが中心となって結成した団体で、そこに「こころ塾」という鬱病の方の就労支援を行なっている団体が加わって行なった調査である。この調査によると、どこから来たか、については、福島県からとそれ以外が半分ずつ。そして罹災証明、被災証明を持っていると住宅や就労の支援が受けやすくなるが、これを持っている家と持っていない家がある。持っている家は、支援をうけて公営住宅に住んでいる方が多いが、そうでない人は、民間賃貸や実家に住んでいる。どのような理由で避難したかについては、放射能の心配から四国という遠い距離のある避難を選んだという方がほとんどである。罹災、被災証明を持つ人は、住宅の支援を必要とし、持っていない人は心身のケアが欲しいという状況――鬱の簡単なチェックでも、点数が悪く出ている。住民票を移していない方は、この鬱の点数が悪い状態にある。同様に、罹災、被災証明を持っていない人にも同じ傾向が見られる。自分がどこで生きていくのか、どこで子育てをするのか、が確定していない状態にある人は、心の状態が良くないということ。そして、個別訪問を希望する人も多い。
このように、今は、散らばった避難者を支援者が追いかけている状態で、住宅支援の期限が切れるのが5年だろうということで、その後の問題を今皆さん必死で模索しているのが広域避難者の現状。個人での問題は多様化しているので、それを追いかけるのも重要だと思っている。当研究所としても、今後どうするのかを決めなければならない。

質疑応答

[山本] 子どもたちの差別があることについてはどうか。
[松田] 四国にかぎらず、特に都会に移り住み、居住の状況が大きく変わった子どもの中には、馴染めない子がいる。父や母が自分のために避難することを選んだのだが、そのため、馴染めない辛さを言いだせない。電話相談に避難者の子どもからそういったことが寄せられることもある。親は、子どもの被爆のことを一番に考えて避難するわけだが、かえって、そのことで子どもが苦しめられる状況が生まれる事例だ。
[山本] 帰りたい人がいる一方で帰れないという現状、広域避難の問題について補足があれば。
[松田] いまだに継続している問題として、これから避難したいという人も結構いる。避難した先からの相談よりも、まだ家族ともめているが、これから避難したいという声も多い。現在進行形の問題なのだということを実感する。子どもの学校の学年が変わるときに避難したいという方もいて、帰る・帰れない問題とは別にいまも進行している。

被災地における子ども参加によるまちづくりの可能性と課題(津田知子)

[山本] 津田さんは、震災直後に被災地に入り、それからずっと被災地支援に関わってこられた。セーブ・ザ・チルドレンでは、子どもの参加機会の創出活動を10年間以上やられている。子ども環境学会が昨日から福島で行なわれていて、このシンポジウムに来たいが来られない人も結構いた。津田さんも、このシンポジウムの後、子ども環境学会のほうに行かれる。今日は、子どもの参加による復興まちづくりの可能性、また、先月(3月)仙台で行なわれた国連世界防災会議についても、お話を伺いたいと思う。
[津田] セーブ・ザ・チルドレンは、1919年に設立され、30のメンバーが約120か国で活動する国際子ども支援NGOである。すべての子どもにとって、生きる・育つ・守られる・参加するという子どもの権利をビジョンに掲げ、活動している。もともと日本でも国内事業を実施していたが、東日本大震災をうけて現在、宮城・岩手・福島の3県に事務所を設けて様々な活動をしている。そのなかでも今日は、子ども参加によるまちづくり事業ということで、Speaking Out From Tohoku(東北から声を上げよう)の事業について説明をしようと思う。事業の取り組みと、そこから見た可能性、そして何がいま私たちに求められているのかということを簡単にご紹介する。
 もともとこの事業を始めたのは、2011年5月から6月に行なった1万人の子どもへのアンケート調査がきっかけだった。「あなたは自分のまちのために、何かしたいと思いますか?」「あなたは自分のまちをよくするために、人と話しをしてみたいですか?」という二つの質問をした。2011年5月当時、学校は再開しているものの避難所から通ってくる子どもも多く、給食がなかったり部活動がなかったりと、日常と言えるような状況ではなかった。そんな中でも9割の子どもたちが何かをしたいと答え、8割の子どもたちが人と話しをしてみたいと答えたのは、非常に力強い声だと思った。 一方で「明るくて元気なまちをつくるためには、心の底から話せる人と話せる場が欲しい」「大人だけで決めないで、子どもの意見も聞いてほしい」という声もあった。
では、どうやって復興に関わる場所を提供できるのか、ということで、私たちが始めた活動がいくつかある。その一つが「子どもまちづくりクラブ」だ。山本(俊哉)先生にも参加してもらったことがあるが、岩手県山田町、岩手県陸前高田市、宮城県石巻市で、小学5年生から高校生までの約20〜30人が定期的に集まり、子ども同士で話し合ったり、まちづくりや建築家などの専門家と言葉をかわしたり、行政や地域の人とも共有して深めていったりして、自分たちが2011年に描いた「夢のまちプラン」を実現しようと活動している。しかし、東北の子どもたちは部活動や伝統芸能が盛んなこともあり、忙しくて、週末の「子どもまちづくりクラブ」への参加が難しい子どももたくさんいる。そのためHear Our Voice〜子どもたちの声〜という定期的には活動が出来ないがアンケートや聞き取りに参加して、復興計画やまちづくり、防災に対する自分たちの声を伝えていく、という活動もしている。社会に発信する、アンケートをもとに子どもたち自身が国際社会、国、自治体などに対する政策提言をする、といった活動も実施している。

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東北子どもまちづくりサミットでの展示と発表 (写真:セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン提供)

復興は、東北の方々だけの問題ではなく、他所の人でも参加できることがある。震災から4年たったいま、どうやってこういったムーブメントを作っていったらいいのか、ということで、年に1回「東北子どもまちづくりサミット」を実施している。子どもたち自身が防災に対する思いを発表し、子どもと市長や町長など、政策決定者をはじめとする大人が一緒によりよい街にするために考える機会を創出している。
ここで、防災に関する子どもたちの政策提言の話をしたい。2011年10月に復興計画に関する聞き取り調査をし、その結果を「子どもまちづくりクラブ」のメンバーがまとめ、市や町に意見書として提出。同時にそれぞれの県にも意見書を提出した。
はじめは「大人って意見を聞いてくれるのかな」「取材も恥ずかしいし」という子どもの声もあったが、知事や町長、市長が子どもたちに真摯に耳を傾けてくれることで「もっと政策提言をしていきたい」となる。
そこで2012年2月には国に意見書を出すようになった。「子どもまちづくりクラブ」の活動は、参加した子どもたちの被災の状況を強制的に語ってもらう必要はない。なかには、友達や保護者を亡くした子もいる。提言書を作成する中で、やはり子どもたちも、自分自身の言葉で自分の経験を語るようになってきている。さらに、語ることでもっと被害を無くせるように自分たちも貢献したい、という方に視点が向いてきた。逆に「どうやったら世界に向けて言えるの」というので、機会を探してみようということになり、2012年には、世界防災閣僚会議に参加して提言書を提出し、そのあとアジア防災閣僚会議やグローバルプラットフォーム会合、去年(2014年)のアジア防災閣僚会議といったかたちで定期的に国際会議に子どもたちが選んだ代表メンバーが参加している。今回の第3回国連防災世界会議でも、本体会議に子どもたちが参加した。
 子どもたちが一貫して言ってきたことは「子どもの意見を聞いてほしい」ということ。今回の世界防災世界会議では岩手・宮城・福島の子どもたちの代表が参加をしたが、例えば、岩手県の子どもたちは、「自分が国連事務総長だったら」というスピーチで「被災したとき、子どもならではの思いや経験を伝える環境づくりをします」「子どもだから言わなくていい、知らなくていい、と言われてしまい、なかなか自分の意見を言えなくて、自分を無力に感じてしまった」「復興について考えることをしなくなってしまった。でもやっぱり自分のまちだ」というように、子ども参加の機会が欲しいと訴えた子もいた。
災害が起こったときに、子どもは一見元気そうに見えるので、はじめは、お年寄りや障害のある方に比べて支援が薄くなってしまうこともある。子どもたちが持っている権利の一つ、遊ぶ権利、というところから、宮城県の子どもは「屋外でのびのび遊べるような場所が欲しい。そういった場所を作ることで、子どもたちはストレスから解放されて未来に希望が持てるのではないのか」と発言していた。東京に自主避難をしている福島県の子どもは「自分にきちんと情報がなかった。自分が今後どうなっていくのか、ということが家族の中でもきちんと説明がされなかった。そういったなかで、なかなか慣れなかったり疲れてしまったりした。原発事故が二度と起こらないような世界をつくりたい」と語っていた。
今回の国連防災世界会議では、以上に述べた3人を含め、世界各国の子どもたちの代表と若者がかなり多く本体会議に参加をした結果、2015年〜2030年の仙台防災枠組では、子どもと若者の役割がその中にきちんと明示された。つまり、「子どもと若者は、変革の主体である。法律や国家施策、教育カリキュラムに合わせて、防災(災害リスク軽減)に貢献できるように場や機会を提供されるべきだ」といった提言である。私たちが地域住民と言ったときに、多くの人は、大人の顔だけがそこに浮かんでくるのではないか。やはり、子どもも社会の一員だということを忘れてはいけない。
こういう活動をしていると、「セーブ・ザ・チルドレンに参加している子って生徒会とかやってたのじゃない?」「もともと意見が言えたのじゃないの?」と言われることも多いが、決して特別な子たちではない。障害を持っている子も、被災して心にいろんなものを抱えている子もいた。しかし、子どもたち同士で問題を解決できることを考える場を提供し、大人も寄り添って考えることで、子どもたちは、自分たちの力で解読して成長していったと思う。「まちづくりに関わることで、まちが大好きになった」「意見表明すること、他者を尊重することは大切だよね」「復興って大人だけのことじゃなくて自分ごとだよね」といった子どもたちの声があがってきた。
 冒頭の、1万人の子ども参加に関する意識調査は、継続的に行なっており、昨年秋に3回目を実施した。同じような質問をしたところ、7割の子どもたちがまちづくりに関わりたいと震災当時から話していた。残りの3割の子どもたちも決して関わりたくないのではなく、情報がない、機会がない、部活動が忙しい、などの理由である。「おとなは、子どもが復興のためにできることは無いと言うけれど、子どもだって子ども同士で話し合ったり、復興がどれくらい進んでいるのかを知ったりもできます。次の世代に語り継ぐことだってできます。子どもの視点でしかわからないこともあると思います。ぜひ、子どもも復興に関わらせてください」――これは宮城県石巻市の小学生の声である。そういった形で子どもたちは望んでいると思う。やはり、子どもたちに復興やまちづくりに関わる機会を大人が提供できていないというのが調査からあがってきている。震災から4年経ったいまでも復興が進んでいないところもある。引き続き子どもたちと活動していく中で、防災や復興計画を策定・実施・モニタリング・評価をする際に、子どもたちの声を反映できるような子ども参加の仕組みをつくっていけたらいいのではないかと思っている。

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国連防災世界会議への参加の報告

質疑応答

[山本] 子どもたちは元気そうに見えてストレスを多く抱えているが、活動に参加する中で元気になっていくということだが、それは「語ること」が大きいのか。
[津田] 語ることもそうだし、自分が考えてきたことをきちんと形にできる、自分が言ったことが無駄にならない、自分が役に立てる存在だと言うことに気づく、ということがあるのではと思う。
[山本] その取り組みの中で、子ども自身の主体性の発揮だけではなく、大人にも影響を与えたこともあったのか。
[津田] 特に1年目は保護者の方が、自分の子が参加することですごく励まされた、ということがあった。例えば、お子さんが二人いて、妹さんを亡くされた方で、お姉ちゃんが妹さんのことも理解した上で、迷いながらも前に進んでいる姿をみて、自分自身も、もっと前を向いていかなければいけないと思ったと言った方がいた。私は、震災前も子ども参加の事業をしていたが、感じるのは、被災地では、子どもたちの意見を聞くことや、社会に参加することへの意識が高いと思う。1年目は、子どもたちの意見が大切と言っていたのが、2年目、3年目は、それをいかに具現化していくか、具現化しないと子どもたちも諦めてしまうのではないか、というように、理解がどんどん深まっていくことを感じる。

子ども参加の逃げ地図づくりの可能性(山本俊哉)

[山本] 「未来のため、即時復興」と言いながら進めてきた復興まちづくりが4年を過ぎ、いろいろな問題がクローズアップされ、様々な亀裂が生じている。避難システムの構築なしに防潮堤がつくられ、後先を考えない集団移転が見られる。本来ならば災害危険区域を設定し、そこに住めないからということで高台に住宅地が造成される。しかし、陸前高田市では、その災害危険区域がまだらに設定され、市にその土地を買ってもらうという形になっているなど、様々な問題がクローズアップされている。
気仙沼市では、高校生が説明会で防潮堤の問題について発言したところ、「それはやらせではないか」「大人が言わせているのではないか」という発言があり、懸命に発言したその女子高生がとても傷ついたということがマスコミで話題になっていた。防潮堤の問題については、「反対をしたら復興事業が遅れるのではないか」と大人も発言を控える面も見られる。
そうした中で、私たちが取り組んできた逃げ地図作成ワークショップは、意見の異なる人たちが同じテーブルを囲んで、同じ物差しで、この地域をどうするのかを検討するプラットフォームづくりに主眼を置く。東日本大震災の経験から生まれ、被災地だけでなく、全国各地に広がっている。その中心にいるのが子どもたちである。逃げ地図づくりを通した子どもたちの可能性について話題を提供したい。
逃げ地図とは、避難目標ポイントまでの時間と経路を色塗りした地図である。革ひもを尺取り虫のように白地図にあてながら3分間で逃げられるところまでは緑色、3〜6分間までが黄緑色、次が黄色…と色を塗っていく。

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代表理事の山本俊哉が子ども参加の逃げ地図づくりの可能性について講演

3分間=129mは、足の悪い高齢者が坂道を歩く平均速度から設定した。この逃げ地図づくりを通して自分がいる場所が一番近い避難目標ポイントまでにどのくらい時間がかかるのかがわかるということ。すなわち、避難者の視点にたったリスクを可視化するものである。私たちは、ハザードマップをベースにしながら、自分たちで色を塗ることによって主体的に防災計画や復興計画に関わっていくことを促そうと、この取り組み始めた。避難する場所を新たに設けたり、経路を新たに作ったりすると色が変わっていく。色が変わるということでやる気が出てくる。いってみればPDCAサイクルを回す取り組みである。
鎌倉市、下田市、陸前高田市のそれぞれの中学生たちが防災学習の一環として取り組んだ逃げ地図を見て、大人たちが自分たちの地域をもう一度見直して、避難のことを自分たちで考えようという動きが市内各地で出てきている。そもそも津波からの避難の地図づくりとして行ったワークショップでも、中学生からは「崖崩れの危険性もある」と、我々の用意した枠組みを超えた発言がなされる。陸前高田市でもそうだった。陸前高田市では、中学生たちが作成した逃げ地図を消防団が修正して、さらに、漁協の女性たちがそこに情報を加えていくことで、情報が集まりにくい問題を克服し、逃げ地図づくりを通して集落間の共通の課題や違いを認識していった。広田町や米崎町では復興事業後の逃げ地図を作成することで、復興事業の検証の機会にもなった。
下田市では今、都市計画マスタープランづくりの最終場面に入っている。その過程で昨年度は、中学生たちの参加があった。崖崩れの問題や外国人居住者にどう情報を提供するのか、といった問題が中学生の発言から明らかになってきた。逃げ地図は、どこに避難するのか、どの程度の津波なのかという設定条件を自在に変えられる。地域の自主防災会が設定条件を変えて比較しようということを行なった。ここにも中学生と大人が一緒に入るのだが、私たちが地区防災計画を作ろうと考えていたところに中学生が「ルールを作ると、それに縛られてかえって危険なこともある」と言った。確かにそういうこともある。
千葉大の木下勇先生の研究室の大学院生が小学校高学年のために逃げ地図の作り方ガイドを作った。これは、土砂災害を兼ねた地図作りを進めていくが、やり方を工夫すると小学校5・6年生でもできるということになってきた。子どもたちは力が結構あるなと感じる。

パネルディスカッション

[山本] 国連防災世界会議での子どもたちの活動はどうですか。
[津田] 本会議に日本から3名子どもたちが、モンゴル・インドネシア・ペルーから選ばれた子どもたちと一緒に登壇しました。それぞれ災害は違っても、子どもが地域に関わることで、大人の啓発につながっていく、ということが表れていたと思います。
[山本] 陸前高田市や石巻市で子どもたちが提言書を作っているお話がありました。小学校5,6年生と高校生では発達段階が違うわけですが、子どもたちの主体性を大事にすると言いながら、大人がサポートしなければならない。そのあたり、セーブ・ザ・チルドレンで参加の機会をつくるときにどのように気を使いながら行なっているのでしょうか。
[津田] 私たちが子どもの参加の機会をつくるときに、たとえば、子どもまちづくりクラブでは、誰でも小学校5年生から高校生まで入れます。じつは、手っ取り早く子どもを集めるには生徒会や児童会と協力したり、ジュニアリーダーだったりとかがあるのですが、そうすると偏った、一定の層しかいないので、まず、機会提供を公平に子どもたちに行き届くようにすることを心がけています。小学生と高校生が一緒に活動するのは意外に面白くて、小学生は夢のようなプランをどんどん出すが、高校生になると一歩大人の意見になって、現実的な保守プランになっちゃうわけです。なので、小学生があげてきたクリエイティビティで高校生が「あぁ〜」みたいなときもあるし、小学生がはっちゃけすぎたときは高校生が現実的なところで焦点を合わせることもあって、複数の世代がいるからこそ、実現可能だけど夢が詰まっているプランができるのかなと思います。そこに寄り添う大人、というところでは、学生さんたちは、研修したりトレーニングしたり、あとは地域の住民の方を支えてあげるというところです。
[山本] この参加をめぐる問題は、子どもだけではなくいろいろあると思いますが、松田さんは話しを聞いていかがですか。
[松田] 二つ思いました。私も地図づくりに参加型でやると、土砂崩れの問題が大人の考えていなかったことが出てきたというお話が山本先生からありましたが、津波のワークショップというと津波のことしかやってはいけないとか、大人って見えない壁に阻まれて言えないことを、意図していないようなことを軽々と子どもは越えてくれることはあると思う。でもそういう意図していなかったことが生まれることが参加型での子どもの意義ですから、子どもたちがいることの意義ってそこにもあるんだな、と聞いていました。

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登壇者3名によるパネルディスカッション

もうひとつは、広域避難の話しで言うと、全国散り散りになった避難者の方というのは、意見の集約さえも難しいという状況におかれています。子どものワークショップもやったことはあると聞いていますが、富岡町の子どもの未来を考えるというような団体が全国を行脚しながら富岡をどうする、といったことを決めているんですね。ものすごい手間がかかっています。だから全国に避難させられているということは、自分の故郷の将来をきちんと考える機会も奪われているということで、これはぜひ訴えていきたいと思いました。
[山本] やはりセーブ・ザ・チルドレンも、場や機会を提供することがメインで、働きかけていく活動にも限りがあるわけですが、そのあたりの課題はいかがですか。
[津田] さっき言ったように子どもたちの忙しさのほかに、東北は交通手段の問題がありますよね、もともと子どもの社会参加、まちづくりの活動は首都圏と関西圏では、普通に子どもたちが自転車のほか、それほど高くなく地下鉄などを使えますが、東北の場合そういう活動に参加するときに足がないことが非常に大きくて、そこで「まちづくりクラブ」の子どもたち自身がやっているのは、定期的に活動できる10人くらいのメンバーが、なにかプランを出すときに、学童や学習支援をしているようなところを訪れて子どもたちの意見を聞き、それをまとめていく方法をとっています。
 大人というところでは、先ほど大人が言わせたのではないかという話が出ていましたけれど、私たちが第一回「東北子どもまちづくりサミット」をやるときに、あるインターネット上でそういう発言がみられました。なぜかと思ったときに、大人は、子どもがそこまでいうと思ってない。そんな発言するわけない、と思っているわけじゃないですか。子どもに機会を提供していけば、そこで力をつけていって、子どもたちはいろんな意見を言い始めている。基本的に、子どもたちがやっている活動を可視化して見せていくということをしています。例えば、山田・陸前高田・石巻の3地域であったら毎週末やった活動の写真と、子どもたちの生の声をそのままの字で切って瓦版みたいにして、スーパーや市役所、ありとあらゆる場所に貼ってもらって、毎週毎週この活動が進んでいますよ、というのを見せる。定期的には報告会をして、行政や保護者やまちづくり関係者、子ども支援関係者、ありとあらゆる大人を招いて意見交換をする。そうすることで、子どもたちが子ども参加をすることのメリットを見せていくということが大切だと思っています。
[山本] 松田さん、福島から四国へ避難した人々は、家族によって全然違う、家族の中でも考え方が違うということから、松田さんたちが情報を集めて、まとめていくということですが、避難している人たち同士の付き合いやネットワークはどうなのでしょうか。
[松田] 徐々にできつつある、といえると思います。セーブ・ザ・チルドレンさんも大変長い歴史をお持ちなんだと思って聞いていたのですが、広域避難者の支援団体の特徴というのは、一つは逃げた先の地域にある災害のことをやっていた団体とか、あるいは、子どもの支援団体がちょっと姿を変えて避難者支援団体になっているというケースもあります。それと、震災後、東北にもそういう団体が多いと思いますが、急造団体ですね。とにかく、避難してきて何かやらなければいけないが、みんなで立ち上げて、それががんばっているところはNPOになるなどしている。当然いままでに経験したことのない現象ですし、それから任意団体やNPOを運営していくノウハウの全くない状態から、ようやく息が整ってきたというのが今の状況ではないかなと思います。そうすると次に何が起こるかというと、知恵の共有ですね。とにかく広範囲なので、例えば、いま中国地方では中国5県にある支援団体が横に連絡・情報共有を始めて、互いにどういう相談内容が集まっているかとか、一番大きいのは、広域避難者を救うための体系的な法制度が整っていないが故の問題というのもたくさんありますので、各自治体の自主的な決定でいろんなものが決められているんです。ですから、この県では来年も住宅支援を決めたようですとか、ここは煩雑な手続き抜きにいろいろなことをやってくれる、といった情報をいっぱい集めている。それが他の自治体への圧力にも繋がっていく。逆に、ここの団体は勝手に何かを決めてしまって、子どもが不利益を受けたとか、そういう情報も集める。そして情報共有を始めているところだと思います。しかし、ノウハウのないまま先に行動したということで、例えば、資金繰りが苦しくなったりとか、それから、なかなか避難者を見つけるということが難しい。法的な情報も提供されづらいですし、自分たちで掘り起こすのが難しくなって活動停止せざるをえない、ですとか。そういった問題に直面している人たちがいるというのも現状ですね。
[山本] 広域避難で家族を支援するわけですよね、それが広域に広がっていて、だからこれまでは家族の支援や地域の支援が重なっている部分があったのですけれども、これだけ広がって多様化しているとなかなか難しいということですね。津田さん、松田さんの話しについて何かコメントがあればお願いします。
[津田] 先ほどおっしゃられた、子どもが親に言えない、やっぱり福島の子どもたちと宮城・岩手の子どもたちは、私自身が見ていて違うなと思ったし、子どもたち同士でも避難における立場の違いがあってなかなか意見が言えないということがあると感じました。それでもやっぱりどこかで言いたくって、そういう場を求めているというのがあった。そういう子どもにしかわからなくて、親にはとても言えないようなことをどうやって大人が受け止めていくのか、という課題があると感じました。
[松田] お母さんも原発、あるいは被爆のリスクということに関しては、個人で受け止める状況というのは全然違うんですね。私は、理想的には、どんな価値観の人同士であってもそれを拒絶しない、ということができればいいと思うのですが、人間なかなかそのようにはいかなくて、やっぱりそういう被爆に対する考え方の違いが今まで何でもない友達だった二人のお母さんの関係に決定的な溝を入れてしまう。避難問題というのは、こういうことと非常に関係があります。もといた福島のお母さんたちとはお話ししたいけどできなくなっちゃった、というお母さんはたくさんいます。子どもたちも、おそらく、それに輪をかけて複雑な状況におかれていて、例えば、自分はもうこんな目に合いたくないんだけれど、自分の家が原発の仕事をしているからなかなかそう言えないとか、言いたいことが言えないということで苦しんでいる人たちはたくさんいますし、そのことが人間関係をごっそり変えてしまった。それが再構築できている人はいいのですが、子どもたちの中にも、当然、その土地の暮らしに慣れて、そこで生き生きしている子もいますけど、そうでない人もまだまだいますから、これは簡単には解決できないことで、次どうするのかということを大人は考えていかなきゃ行けないな、と思います。
[山本] 次にどうするのかということで、国連防災世界会議では、「子ども・若者は変革の主体である」「そのための機会や場を提供する」ことが宣言されたわけですが、これは日本の社会の仕組みにも関わるところですけれど、津田さん、どんな課題がありますか。
[津田] 大きいところは、やっぱり大人の子ども観――子どもをどう捉えるかですね。私が感じたのは、緊急支援に入ったときに、メディアで報道されてたのは、子どもは、かわいそうな、保護をする客体、というイメージが多くて。実際そういう場面もありますけれども、でもやっぱり避難所で一緒に遊んでいると、子どもが「私ポスターをつくる!」とか、できることもある。大人は、どこかで客体と思っていて、参加の機会を奪っているのじゃないかなと思います。やり方は、たくさんあると思うんです。例えば、復興計画の提言書を出したときも、じつは全部子どもに優しい言葉に訳した。それによって子どもたちも理解したし、数年後に地域でつかわれたりした。情報を子どもにわかりやすく伝えるとか、行政と定期的な意見交換の場をつくるとか、いくつか方法はあると思うんですが、そういった方法をどんどんわかりやすく伝えていくことがいま求められているのかな、と思います。
[山本] 松田さん、四国の高知の場合、南海トラフの地震が発生すると被災地になって、また広域避難の問題が出てくるのではないかと思います。今後の広域避難の課題についていかがでしょうか。
[松田] 広域避難を20年来考えている関学の研究所では、全然進まないのにまた来てしまった、という気持ちに襲われたということです。というのも、避難をした人の権利、逃げることの権利の保証が本当に十分ではない。原発といったものは、また違う様相を呈してしまったわけです。今日は、民間支援の話を多くしましたが、それの法制度の部分、もっと根幹的な部分で、例えば、2地域居住地を設ける、住民票を二つにわける、ということを含めた大胆な発想っていうのは、まだできていない。そういうなかで、南海トラフを迎えようとしている状況があると思います。こういう避難マップの取り組みって、いまものすごく沿岸部でやられようとしていますよね、高台移転とか、集落をつぶしてしまって高いところにあげようとか、消防署・市役所・病院を上にあげようとかがされようとしているなかで、小学校を上に上げてしまうと交通事故に遭うリスクの方がよっぽど高いんだ、ですとか、そういった議論があることも知っています。こういった地図に限らず、大変ですけれども、集落ごとで意見を集約していくことがますます求められているように思います。今日、子どもたちが参加するとこういうことがあるんだよ、ということを私も勉強しましたので、ぜひ活かしていきたいと思った次第です。
[山本] この地図づくりは、私たちもコミュニケーションのプラットフォームをつくる、ということで、子どもだけじゃなくて大人も含めての考え方。世代間交流がなかなかあるようでなくて、それが子どもたちはたぶんこう思っているはずだ、と自分が子どもだった頃を考えているのですが、実際は、コミュニケーションの方法もずいぶん違っています。また、子どもたち自身が地域をあまり知らない、ということもあります。
今日は、子どもを軸にしながら広域避難という現在進行形の大変重たい課題である、かつ、今後考えていかなくてはならないことと、子どもの参画という復興まちづくりの参加のあり方について意見交換してまいりました。

終わりに(鳥山千尋・NPO法人復興まちづくり研究所・理事)

私たちはどちらかというと都市、市街地などフィジカルな問題を扱っているものですから、広域避難のことや子ども参加についてなかなかお話を聞く機会がないのですけれど、とても良い話しだったと思います。時間が大変少ないので、機会をみて、また皆さんに話しを聞くことができたらと感じました。

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シンポジウムの終わりに挨拶をする鳥山千尋・NPO復興まちづくり研究所 理事

ウィンの希望のものがたり

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